中国観光地ガイド
乾陵は唐の高宗(李治、公元628年-公元683年)と中国史上唯一の皇后である武則天(公元624年-公元705年)の合同陵墓です。この墓は乾県北6キロの梁山に位置し、西安から約85キロ離れています。
西安の乾陵(けんりょう)は、唐の高宗(李治、在位:628年〜683年)と中国史上唯一の皇后である武則天(在位:624年〜705年)の合同陵墓です。この墓は乾県から北へ6キロメートルの梁山に位置し、西安からは約85キロメートル離れています。乾陵は684年に着工され、23年の歳月をかけて完成しました。南側から墓まで続く神聖な道には、両側に動物と人間の像が並んでいます。中でも特筆すべきは、長袖の袍を着て剣の柄を手にした10対の護将像です。これらは唐代の全盛期における彫刻芸術の輝かしい成果を示しています。鳳凰門の東側には、高さ6.3メートル、重さ98.9トンの無字碑があります。これは中国で唯一の皇帝陵の前に立つ無字碑です
李治は唐の太宗(李世民)の第九子で、唐朝の第二位の皇帝として34年間在位しました。朝廷の慣例では、皇帝は長男を皇太子に選んで後継者に指名すべきですが、李治が皇太子に選ばれました。その理由は、李治が長孫皇后の息子であり、長孫皇后の弟である長孫無忌が強大な勢力を持っていたからです。太宗の死後、李治が即位し、高宗の年号を用いました。しかし、彼は政治的才能があまりなく、愚かで弱気な性格だったため、権力は次第に武則天の手中に握られました
武則天の旧姓は趙氏で、祖籍は山西省文水県です。父の武世火は商人でした。後に父は唐朝の開国皇帝である李淵に従い、隋への反乱戦に参加し、唐朝の工部尚書を務めました。武則天は若い頃、両親と共に生活し、両親が頻繁に旅行していたことで、多くの見聞を広めました。12歳の時に父を亡くし、社会から大きな差別を受け、家内でも二人の兄弟からいじめられました。しかし、こうした生活の磨难が、彼女の強靭な性格を育みました




西安駅で観光3路バスに乗車
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